ケータイ辞書JLogosロゴ 下津村(近世)


群馬県>月夜野町

 江戸期〜明治22年の村名。利根郡のうち。名胡桃村が上津村・下津村に分村して成立。「元禄郷帳」「天保郷帳」では名胡桃を冠称。はじめ幕府領,宝永元年沼田藩領,享保15年幕府領,文化9年から旗本大久保氏領(郡村誌)。沼田藩主真田氏改易後,幕命により行われた酒井氏貞享検地で村名が見え,村高842石余(平形家文書/県史資料編12)。「元禄郷帳」も同高で,「天保郷帳」「旧高旧領」はともに852石余。なお明治2年の上津村明細帳(旧桃野村役場蔵文書/同前)によると,真田伊賀守の時代に分村,ただし田畑・野山とも境目なしとある。天保の飢饉は当地方にも大きな被害をもたらし,当村名主の書いた諸事永代録(内海家文書/同前)に,天保7年11月岩鼻役所に貧民人数改帳を提出,当村は300人余とあり,また12月27日利根郡村々からの報告によると飢人総人数4,000余,山方の村々では死人が出た風聞もあると記している。この天保7年11月の飢人書留帳(同前)によると,総人数321,うち当時飢192,2月から飢129で,村内各組ごとでは,小川島組122うち当分飢82,竹改戸組109うち当分飢60,中村組90うち当分飢50となっている。なお小川島は煙草の産地で,伊勢崎方面へ広く出荷された。また当村の用水については,安政2年の用水普請高引願(小川島組有文書/県史資料編12)によると,字原地沢・中後沢・落合に用水埋樋長さ52間,字後沢に同長さ8間があり,その修理は真田氏時代,次いで幕府領時代と,定式普請であったと述べている。この願書では,その事実により,安政2年の普請も諸入用が支弁される御普請にしてほしいと願い出ている。幕末の改革組合村高帳では,須川村寄場組合に属し,高841石余,家数153。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。同22年桃野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283092
最終更新日:2009-03-01




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