ケータイ辞書JLogosロゴ 新福寺村(近世)


群馬県>千代田町

 江戸期〜明治22年の村名。邑楽郡のうち。はじめ館林藩領,天和2年旗本岡部氏領となる。村高は「寛文郷帳」322石余うち田方147石余・畑方174石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに518石余。助郷は近隣村と同様日光社参などに出役を務めたと思われる。鎮守は神明宮。寺は黄檗宗宝林寺で寛文年間徳川綱吉の帰依を得た潮音禅師が中興開山,綱吉は館林に広済寺を建てて潮音を住持としたが,天和3年館林城を廃したとき広済寺も取り壊しとなり本尊・什物などは宝林寺に移した。水利は渡良瀬川から休泊堀で引く。幕末の改革組合村高帳によれば,小泉村寄場組合に属し,高518石余,家数38。明治4年館林県,栃木県を経て,同9年群馬県に所属。同10年の村誌(千代田町役場蔵文書)によれば,村の規模は東西17町余・南北7町余,地租で米89石余・金158円余,戸数60・人数271うち男134・女137,馬17,荷車1両,物産は木綿・ソバなど,民業は男女とも農とある。同21年の「名称区域」では戸数55・人口289。同22年永楽村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283258
最終更新日:2009-03-01




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