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- 砂川村(近世)とは
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![]() | 砂川村(近世) 江戸期~明治11年の村名播磨国神東郡のうち市川支流神谷【こだに】川流域,市川への合流点付近神谷川の砂が多くたまったところから地名となったのであろう現在集落のある部分は字砂川姫路藩領村高は,「正保郷帳」では砂河村と見え278石余うち田259石余・畑18石余,元禄2年の播磨壱国調帳(姫路城史)181石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに186石余枝村であった津熊村を元禄年間までに分村元禄年間以後の開発はほとんど見られない江鮒村甲山八幡神社が豊富地区の総氏神で,村内には大歳神社を鎮守として祀る寺院は善寿庵水利は,神谷川の水量が少ないためほとんど溜池により,しかも砂地のため用水に悩まされた江戸後期には畑地に綿を栽培し,文化・文政年間以後姫路藩木綿(篠巻)専売の綿の産地であった明治5年善寿庵に当村と金竹村・曽坂村を学区とする練金校が開校,同8年豊富地区全域を学区とする蔭山小学校が金竹村に開校したためこれに合併明治6年生野鉱山の鉱石を飾磨【しかま】港へ運ぶため,フランス人技師レオン・レスリーによって開かれた馬車道が村内を南北に縦貫した同11年御蔭村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 砂川村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 砂川村(近世) 江戸期~昭和29年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」