ケータイ辞書JLogosロゴ 瀬戸井村(近世)


群馬県>千代田町

 江戸期〜明治22年の村名。邑楽郡のうち。はじめ館林藩領,天和2年幕府領,元禄11年旗本新見2氏の相給,文政11年から幕府領。村高は「寛文郷帳」528石余うち田方113石余・畑方415石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに588石余。村の規模は東西10町・南北12町余(県邑楽郡町村誌材料)。助郷は近隣村と同様日光社参などに出役を務めたと思われる。鎮守は長良神社で貞観11年大和国から藤原長良の遺徳を慕って勧請したと伝え宮付12か村の総鎮守とし,氏子1,226戸(上五箇村外四ケ村村誌/小池家文書)。以後分社するものが多く邑楽郡の本宮と称された。祭礼には瀬戸井・赤岩の両村から力士を出して相撲を行い競ったが,たいていの場合物言い口論となり世にけんか相撲といった。真言宗宝生寺には江戸後期の儒者亀田鵬斎青年期の筆跡とマキの巨木がある。水利は渡良瀬川からの休泊堀に頼ったが,天保10年利根川から利根加用水を引き入れて利用した。利根川沿岸のため水禍に悩み,天明6年隣村上五箇村で破堤し被害大,安政6年地先破堤156間,岩鼻役所の救助により復旧普請組合村44か村が組織された(千代田村誌)。地先利根川は対岸酒巻村(現埼玉県行田市酒巻)との間が狭窄部になっており下流部の洪水を小規模にする役目を果たしていた。幕末の改革組合村高帳によれば,小泉村寄場組合に属し,幕府領の村で高588石余,家数60。明治4年館林県,栃木県を経て,同9年群馬県に所属。物産は米・麦・大豆・小豆・藍・ソバ・木綿・養蚕など(上五箇村外四ケ村村誌/小池家文書)。同22年大部分は富永村の大字となり,一部は永楽村新福寺に編入。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283325
最終更新日:2009-03-01




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