ケータイ辞書JLogosロゴ 田留(中世)


群馬県>赤城村

 戦国期に見える地名。勢多郡のうち。多留とも書く。天正6年と推定される年未詳3月14日の富永能登守(猪俣邦憲)宛北条氏政感状(東大史料編纂所々蔵猪俣文書/県史資料編7)に「向多留致伏兵,城主始牧和泉守次男数多討取由」とあり,猪俣邦憲が牧和泉守次男を城主とする多留(樽)城を攻め落しこれを賞したことがわかる。また天正11年と推定される年未詳3月28日の芳林(北条高広)条書写(歴代古案/同前)は上杉景勝家宰の直江兼続に宛てて「付,大胡・山上・田留・赤堀備之事」と,当地などの防備が重要であることを申し送っており,沼田倉内城をめぐる上杉氏と小田原北条氏との攻防に伴って当地も争奪の対象となったものと推定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283570
最終更新日:2009-03-01




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