ケータイ辞書JLogosロゴ 稲荷台(近代)


群馬県>群馬町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ国府村,昭和30年からは群馬町の大字。明治24年の戸数37,人口は男102・女126。農業を主体とし,耕地の大部分は畑地で桑園が多く,養蚕業が盛んに行われ生計を支えていた。産繭は,明治10年代までは各自が振売りし前橋の繭商に買いたたかれていたが,同20年代から近辺の製糸社に共同出荷し,同32年には蚕業同盟組合に参加し,大正期は好景気に恵まれた。しかし,昭和初期の経済恐慌により出荷しても繭代がもらえず,振売りを余儀なくされたため,群馬社設立後は養蚕組合,農業会を経て群馬社へ共同出荷した。水田はわずか1.4%で,陸稲栽培は干天による凶作が多かったが,昭和35年中群馬用水,同47年群馬用水の完成により定期・定量の灌漑が可能となり,字堀西・滝社に9〜10町余の新田が開発された。稲作・養蚕の合い間には白菜・玉葱・馬鈴薯などが栽培され,園芸組合を通じて共同出荷した。昭和40年代まで養鶏・養豚・酪農・肥育牛などが副業的に行われてきたが,近年衰退の一途をたどっている。当地は昭和40〜50年代の農業経済の相対的低下や,昭和40年県道前橋安中線全面舗装,同60年関越自動車道開通などによる交通の便利化と耕地の減少により,農業人口が減少し勤労者人口が増大した。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283650
最終更新日:2009-03-01




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