ケータイ辞書JLogosロゴ 苗ケ島(中世)


群馬県>宮城村

 南北朝期から見える地名。勢多郡女淵郷のうち。菩提心論見聞第4の奥書(叡山文庫天海蔵/県史資料編6)に「康応改元己巳九月二日,於上野国深巣苗島賜花蔵寺本師御本,為令法久住書写了,定智」とあり,これは僧定智が花蔵寺(現伊勢崎市)の蔵書から深巣の苗ケ島で書写したものであることがわかる。天正年間中頃と推定される年未詳9月25日の長尾顕長宛行状(北爪重一氏所蔵文書/県史資料編7)によれば,「女淵郷はなけ石之内五貫文之所ニ苗島之内廿貫文之所指添,為加恩出置之候」と見え,北爪主計助に当地のうちなど合わせて25貫文を宛行った。長尾顕長は館林城主であり,天正年間中頃まではこの地域が長尾氏の所領で,苗ケ島が女淵郷に属していたことが知られる。北爪氏はその後小田原北条氏の進出によってこれに属し,天正17年12月14日の北条家朱印状(同前)によれば,「女淵之郷之内……五貫文苗ケ島之内」とあり北爪新八郎は女淵郷内の友成・深津・苗ケ島で合わせて20貫文を安堵されている。さらに天正18年2月21日の北条家朱印状(北爪文書/県史資料編7)には,北爪大蔵をはじめとする25人の地衆(地侍)が当地をはじめとする鼻毛石・友成・深津などで10貫文から3貫文の間で合計142貫文の給地を宛行われている。このうち当地が最も多く50貫423文である。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283740
最終更新日:2009-03-01




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