ケータイ辞書JLogosロゴ 中今井郷(中世)


群馬県>境町

鎌倉期に見える郷名新田郡新田荘のうち元久2年8月日の将軍源実朝下文案(正木文書/県史資料編5)に「中今居郷」とあり,新田荘内の当郷など12か郷の地頭職に新田義兼を補任している下って,徳治2年2月11日の源成経寄進状案によれば,「上野国にんたのしやう中いま井の内,せらたの四日市のきたの野畠壱町壱反」を長楽寺に寄進しており,これは年月日未詳の長楽寺寺領目録にも記載があり,別にもう1か所「一,中今居内〈堀込畠 とくち二ねん五月廿九日 源成経〉」ともある(長楽寺文書/同前)同地については,徳治2年5月29日の源成経畠地売券案(同前)に「上野国新田しやう中いま井のかうのうち,せらたのすくのきたにほりこめのうち,ひんかしにそへてはたけ五反半,ならひにきたにはたけ九反,あハせて壱丁四反半」とあり,これは成経相伝の私領であり,40貫文で「たけふちの三郎太郎」に売り渡しているまた同年2月11日の同畠地売券(同前)では,「上野国新田庄中今井郷内成経知行分,世良田宿四日市場北並堀籠内半分定五段半」を直銭17貫500文で大舎人氏女に売り渡しているなお,同年10月9日の長楽寺住持大円文書注進状(同前)には「中今井一丁畠寄文」とあり,これは前記の寄進状を指すものと思われる下って嘉暦2年10月29日の牧翁了一寄進状案(同前)によれば,「中今井郷内六日市庭并柚垣中在家一宇」が長楽寺普光庵に寄進されているなお「禅刹住持籍」によれば,長楽寺歴代に「第十世牧翁諱了一」とあり,嘉暦2年11月7日に示寂した(建仁寺両足院所蔵/県史資料編5)南北朝期文和2年3月19日の足利尊氏寄進状(長楽寺文書/同前)によれば,長楽寺普光庵に「中今居内畠壱町九段〈為輔知行分〉」などを寄進している新田義貞没落以後新田一族の惣領の立場にあった岩松氏の所領(公田100町)の内訳を示す室町期応永11年4月7日の新田庄内惣領知行分注文(正木文書/同前)には「一,上今井郷 中今井」と見えるなお年月日未詳の新田庄内岩松方庶子方寺領等注文(同前)には,「岩松方」のうちに「一,上今井 一,中今井村」と村名で見える江戸期の今井村,現在の境町西今井のうちに比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283762
最終更新日:2009-03-01




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