ケータイ辞書JLogosロゴ 中長根村(近世)


群馬県>吉井町

江戸期〜明治9年の村名多胡郡のうち鏑【かぶら】川右岸の平地,天引川右岸沿いに位置する小幡藩領長根村が上長根村・中長根村・下長根村に分村して成立村名は「旧高旧領」に見えるが,「郡村誌」は延宝2年に長根村から分村と記すまた村名を記す地方史料が残っており,幕府郷帳では幕末まで長根村一村でまとめて記されるが,小幡藩の地方支配では早くから3か村に分けて把握されていたと思われる村高は「旧高旧領」で611石余年不詳の小幡領村々石高・人数・年貢等書上帳(松浦家文書/県史資料編9)では,高611石余うち本田574石余,反別71町7反余うち田31町9反余・畑39町8反余,新田が高37石,反別5町7反余うち田1反余・畑5町5反余,年貢は納合米169石余・永70貫966文,家数66・人数286文政6年小幡用水の不足を補うため,当村名主江原倉右衛門や上長根村名主栗本七郎右衛門らは観音谷用水池構築願いを出し,上田6反余を用地に充て,見積り人員7,600人で完成させた完成した堤は3つに仕切られ,谷川が東の山際を迂回している明治4年小幡県,群馬県を経て,同6年熊谷県に所属同年長根村の一部となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283838
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ