ケータイ辞書JLogosロゴ 長根(近代)


群馬県>吉井町

 明治22年〜現在の吉井町の大字名。明治24年の戸数136,人口は男411・女411,馬75・学校1。当地には水田が多く,江戸期の領主はその灌漑につとめ,10kmを隔てた城下から御用水と称し,灌漑用水を導いて使用させていたので,旱害に苦しむことはなかったが,維新後は年を重ねるに従い用水が不足するに至った。当地出身の町長安藤馬五郎は,同39年長根・下長根・本郷3か村連合耕地組合を組織し江原定七に引継ぎ,同41年竣工。210余町の耕田整理を行い,灌漑用水の節約を完成,総経費3万7,000余円(吉井町誌)。美田完成以来開田も盛んに行われ,そのうえ旱天が続いて大正6年には灌漑用水が欠乏し,80余町の水田は植付が不可能となった。同7年当地は新屋村村長と地元金井の有志の承諾を得て,新屋村天引字下平地内に流れる平引川に暗渠を築造した。河底を流れる地下水を堰止め,相当水量を当地に引き入れることができたが天引川下流域に被害が生じた。金井字権現堂では6個の井戸水が洞渇し,水田1町8反の水源(溜池3)が渇水した。このため当地と金井とは紛擾を起こし,同年6月関係する多野・北甘楽【きたかんら】郡長,両地区の有志は条件を設け調停にあたるが難航し(大正七年地方監督巡視/県立文書館所蔵),これが後年の鏑川用水建設の誘因となった。地内の5社(天神森の菅原神社・宿の神明宮・上野場の熊野神社・安坪の諏訪神社・折茂の稲荷神社)を,新たに創建する社殿に合祀し,長根神社とし,同年村社に指定された(多野藤岡地方誌)。昭和36年宮沢製材の跡地に信沢工業吉井工場発足(吉野町誌)。同59年安坪公民館を建設,昭和57年西部コミュニティセンター建設。昭和45年度吉田地区に西吉井住宅団地造成に着工。人口急増のため同46年上信電鉄西吉井駅発足。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283848
最終更新日:2009-03-01




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