中山(近代)
明治22年〜現在の高山村の大字名。明治24年の戸数283,人口は男678・女670,学校1・水車場8。役場所在地。地内を通る三国街道は国道から県道,さらに明治27年には里道となり利用が少なくなったが,昭和24年再び県道となり,同45年には北牧【きたもく】〜中山間のほとんどが舗装された。かつて真田道と呼ばれた中之条沼田線は里道であったが大正9年郡道,翌10年県道となり,昭和6年にはバスが開通した。その後,同28年2級国道となり,同42年全線が舗装され,現在国道145号として地域の交通の動脈となっている。昭和19年滝野川第三小学校・同第五小学校の学童疎開を,双松寺・法信寺が受け入れた。地内には北毛青年の家・国民宿舎わらび荘・子持牧場・ゴルフ場があり,観光資源の開発が行われている。同30年高山の姉妹つつじが県天然記念物,同40年三島神社神楽が村文化財にそれぞれ指定された。産物には煙草・コンニャク・林産物がある。大正14年の戸数410・人口2,066。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283891
最終更新日:2009-03-01