ケータイ辞書JLogosロゴ 西上秋間(近代)


群馬県>安中市

 明治22年〜現在の大字名。はじめ秋間村,昭和30年安中町,同33年からは安中市の大字。同24年の戸数155,人口は男372・女315,水車場7。明治6年西上秋間専念寺に開校した飽馬西小学校は同22年本校に統合され,2年生までの児童が通う西分校となった。昭和3年改築,同30年当時の生徒数31・職員数2であったが,生徒激減のため同48年廃校となった。昭和37年の池の久保・三軒茶屋・明石・関・貝戸沢を中心に秋間丘陵上約100haに及ぶといわれる秋間梅林が開設され,観光地としても知られ2〜3月の開花期には数万人の人出でにぎわう。梅の木は明治初期に梅の漬物用として植えられ,第2次大戦中は高崎15連隊にも納品されたが,現在では白加賀と称する梅酒用の品種が大半を占め,昭和50年年収360tを産出,県内はじめ東京市場や北海道まで出荷している。約200戸が梅を栽培,昭和30年代から桑園を梅園に変える農家が増加したという。昭和59年大規模な梅の共同選果場も完成。近くの秋間川沿いには観光農園・釣り堀などもできている。茶臼山山麓には秋間簡易水道浄水場や配水池もあり,昭和60年現在800世帯・3,000人余が使用している。石尊山麓には市営のキャンプ場もある。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7283999
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ