ケータイ辞書JLogosロゴ 楡沢村(近世)


群馬県>黒保根村

江戸期〜明治7年の村名勢多郡のうち赤城山の最高峰黒檜山に源を発する小黒川流域に位置する利根村根利に古来生活の交流があったことから「ねりざわ」と称されるようになったとする説もあるが,容易な発音により「にれ」が「ねり」に訛ったとも考えられるはじめ幕府領,寛文元年館林藩領,天和2年旗本池田氏領村高は,「寛文郷帳」で畑方のみ13石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」いずれも27石余当村を通る古道会津裏街道は会津檜枝岐村から老神・根利を経て大間々町に至る物資流通の幹道としてにぎわい,文化の流入も早かった寺院は3か寺で萱野に三福寺と厳正寺,平に東光寺があったが,いずれの寺も幕末期に医光寺に併合された平には赤城大明神と忠綱大明神併祠の神社がある幕末の改革組合村高帳によれば,水沼村寄場組合に属し,高27石余,家数27明治4年前橋県,群馬県を経て,同6年熊谷県に所属同7年下田沢村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7284106
最終更新日:2009-03-01




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