ケータイ辞書JLogosロゴ 萩生村(近世)


群馬県>吾妻町

 江戸期〜明治22年の村名。吾妻【あがつま】郡のうち。はじめ旗本松平氏領,元和元年旗本根津氏領,元和4年幕府領。寛永20年大戸村から分村したという(郡村誌)。村高は,「元禄郷帳」325石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに326石余。村の広さは安政期で東西55町・南北5町。天明3年の村明細帳によれば,家数116・人数587,馬38(坂上村誌)。慶応2年には戸数114・人数496と減少する。嘉永元年から15年間中山道軽井沢宿での代助郷を勤める。本宿村の霜田用水に用水普請の人足を派遣する。大戸の関所付村のため,将軍の上洛や日光社参の際は番小屋を設け,固め人足や関所の加番人足で詰める。普請の時も夫役負担を課された。鎮守は明徳元年建立の浅間神社で,主神は木花佐久夜毘売命である。大柏木村内にある飛地宮谷戸にある佐名神社は,「上野国神名帳」に載る吾妻7社の1つ,従五位上佐奈明神と思われる。中山道の脇往還信州街道が村内を通っている。安政4年の産物売高は繭50両・麻80両で,他に細工物などがある。秣場入会をめぐって,延宝5年本宿村,元禄6年権田村,安永2年には大戸村とそれぞれ争った。小正月の習俗であるどんど焼きのあとに行われる悪魔払いの獅子や鳥追いが古い形で残り,現在も1月14日に行われている。幕末の改革組合村高帳によれば,大戸村寄場組合に属し,高325石余,家数230と見える。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。同22年坂上村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7284141
最終更新日:2009-03-01




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