ケータイ辞書JLogosロゴ 東柏倉村(近世)


群馬県>宮城村

江戸期〜明治5年の村名勢多郡のうち赤城山南麓に位置し,村の東端を荒砥川が流れる貞享2年柏倉村から分村して成立と伝えられるはじめ前橋藩領,明和6年幕府領,天明6年山城淀藩領村高は,「元禄郷帳」128石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに288石余江戸前期から中期にかけては新田開発が盛んに行われ農民の所有する耕地も増加している当村で行われた新田開発は,享保元年までに田2町9反余・畑47町2反余で,このうち最も多いのは,貞享元年から元禄10年にかけての下々下畑33町2反余の開発である(同前)明治4年の免定(宮城村役場蔵文書/宮城村誌)によると,貢租は明治2年から同6年までの5か年は定免になっているまた,文化9年前後のたび重なる出水によりかなりの面積が年貢免除になっている嘉永6年の組合村々議定書(苗ケ島区有文書/県史資料編13)で山田郡・勢多郡53か村で取り決めた耕作日雇并諸職人手間代をみると,大工職は金1分につき8日・左官職同7日・黒鍬仕事師同9日,耕作日雇4〜8月まで金壱分につき10人・麦摺扱女日雇同13人,春田植・麦田植はその所の仕来りより2割下げなどとなっている東柏倉・西柏倉両村の総鎮守は当村の諏訪上下大明神宮で,別当は西柏倉村の東昌寺である祭事については東と西が年番で交互に勤め同一の氏子として祭礼に参加し,社殿などの修理も両村で申し合わせ,寄付でまかなっている明治4年淀県を経て群馬県に所属同5年柏倉村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7284286
最終更新日:2009-03-01




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