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- 吹屋村(近世)とは
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吹屋村(近世) 江戸期~明治8年の村名会津地方北部,阿賀川北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領大谷組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録には「ふきや」とあり130石余,寛政年間の「会津鑑」では118石余,「天保郷帳」121石余,「旧高旧領」151石余化政期の家数7軒,端村一竿【ひとさお】2軒(新編会津)一竿の船渡場は,阿賀川の川幅が狭くひと竿で渡れるので一竿の渡しと称したという神社は若宮八幡神社・船神社・水神社寺院は寛永14年の開山である曹洞宗岩松山長円寺,同寺境内に観音堂がある(新編会津)地内には田代丹波の住したという館跡があり,花館という小名に高平・小石がある(会津鑑)明治4年の戸数7・人口30(若松県人員録)同8年荻野村ほか3か村と合併して上郷村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」