福島村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。邑楽【おうら】郡のうち。はじめ館林藩領,天和2年旗本大久保氏領となる。村高は「寛文郷帳」216石余うち田方30石余・畑方185石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに332石余。村の規模は東西9町余・南北11町余(県邑楽郡町村誌材料)。諸役は利根川満水の節に舞木村へ人足を出したという。鎮守は稲荷神社,寺は真言宗金剛寺。用水は渡良瀬川から休泊堀で引き,天保10年からはこれに加えて利根川から利根加用水を引き入れた。幕末の改革組合村高帳によれば,小泉村寄場組合に属し,高332石余,家数35。明治4年館林県,栃木県を経て,同9年群馬県に所属。同10年の村誌(千代田町役場蔵文書)によれば地租で米6石余・金32円余,戸数66・人数256うち男128・女128,馬10,物産はサツマイモ・茶・その他。同22年永楽村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7284410
最終更新日:2009-03-01