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- 本町村(近世)とは
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![]() | 本町村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち元町とも書く佐賀平野中央部,嘉瀬川下流東岸に位置する佐賀本藩領嘉瀬郷に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに619石余,「天保郷帳」では651石余,「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに小村に月見堂(村)・田代町(村)があるはじめ多久【たく】氏の知行地であったが,元和7年から佐賀本藩の蔵入地となった当村は長崎街道に沿って街村をなしていた四面社にある一の鳥居は,寛文7年2代目藩主鍋島光茂が寄進したものである当村の東端にある「別れの一本松」と称される地は,仕置場に送られる罪人と家族との別れの場所と伝えるが(佐賀市の文化財),本来は長崎街道の一里塚であったという(伊能忠敬:測量日記)「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに中原【なかばる】村の枝村に見える「明治11年戸口帳」によれば,中原村のうちに「元町村」と見え,戸数28・人口131 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 本町村(近世) 江戸期~明治15年の村名浜通り中部,富岡川流域に位置する楢葉郡のうちはじめ磐城平領,慶長7年磐城平藩領,延享4年幕府領,天保7年からは棚倉藩領富岡組に属す村高は,慶長15年の岩城御領分定納之御帳(内藤家文書/県史3)には富岡本町村として851石余とあり,手岡村の村高も含んだと思われる「天保郷帳」では「古者本町村・台原新田 弐ケ村」として812石余,「旧高旧領」720石余神社は諏訪神社・熊野神社・大山祇神社・王塚神社寺院は真宗西派光西寺・新義真言宗宝泉寺磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属明治12年楢葉郡に属し,同15年下手岡村と合併して本岡村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」