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群馬県>吉岡町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ明治村,昭和30年吉岡村,平成3年からは吉岡町の大字。明治24年の戸数118,人口は男309・女325,水車場4。同26年には清水越新道に鉄道馬車が新設され,同40年電車に切り替えられ,田中地域に停留場が設置されたが,昭和28年電車は廃止となり,乗合バスに切り替えられた。清水越新道も主要地方道高崎渋川線となり,同30年三国トンネルが開通すると,自動車の交通量は増えすでに飽和状態である。昭和22年相馬ケ原に米軍が進駐し,水源地は荒れ午王頭川の水が涸れて,住民の不安はつのり,同31年吉岡村は長山貯水池の拡張と浚渫を計画,2か年の歳月をかけて完成した。同42年南下中部稚蚕共同飼育所を設立,利用農家17戸・掃立箱数209箱,同44年字鬼ケ橋に吉岡中学校校舎が完成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7284702
最終更新日:2009-03-01




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