南玉村(中世)
室町期〜戦国期に見える村名。那波郡のうち。応永32年と推定される年未詳11月16日の比丘亮託・思明連署書状(金沢文庫文書/県史資料編7)に「福島・南玉村・下手ハ,涯分之ほとハ米おも可納申候由申候」とあり,当村などの米年貢を納めていないことが知られる。天正7年極月28日の北条高広判物(宇津木文書/県史資料編7)に「一,五拾弐貫文 〈南玉村,同(長井)分〉」とあり,宇津木左京亮に対し,武田氏への忠信を賞して当郷の半分など合計281貫文を宛行い,北玉村を守るよう要請している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7284703
最終更新日:2009-03-01