ケータイ辞書JLogosロゴ 森下村(近世)


群馬県>昭和村

 江戸期〜明治22年の村名。勢多郡のうち。前橋藩領。村高は,「寛文郷帳」で776石のうち田方137石余・畑方638石余,「元禄郷帳」も同高,「天保郷帳」854石余,「旧高旧領」も同高。元禄7年2月21日当村は前橋藩へ市場取立て願いを出している(県立文書館蔵文書/県史資料編12)。この願書によると,当村に市立てを願う理由として,沼田領村々からの諸品販売や白井・渋川商人の荷物輸送に都合が良く,当村だけでなく橡久保村や糸井村のためにもなるとし,70年ほど以前に馬町立てした時はほかの売買をしなかったためつぶれたので,今回は諸商売も免許してほしいと願っている。同年6月1日には市立ての許可をうけて,店役は徴収しないことなど7か条を定めている(同前)。なおこの市場規定の末尾に,家数296とあり,上之町・中之町・下之町の呼称が見えている。村内へは各地から諸職人が入ってきて仕事をしたらしく,寛政6年には越後国出雲崎・十日町からの大工計6人,文化12年には信濃国高遠から石工と弟子計3人へ鑑札が出されている(同前)。明治4年前橋県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県北勢多郡に所属。同22年久呂保村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7284827
最終更新日:2009-03-01




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