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矢島村(近世) 江戸期~明治9年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢島村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢島村(近世) 江戸期の村名新田郡のうち利根川支流早川中流右岸に位置するはじめ武蔵忍藩領,元禄10年旗本高屋・桑原両氏に2等分され,相給検地は寛永4年に実施された村高は「寛文郷帳」で455石余うち田方295石余・畑方160石余,「元禄郷帳」455石余,「天保郷帳」同高「旧高旧領」には上矢島村と見える年貢高は米56石余・永34貫文余,延宝3年威徳寺修験佐位之庄霞之内となる生業は田方地帯で米作を主とし,早川・長溝両川の用水があったが,旱魃年には上流で用水を止められてしまい,用水争いが多かった周村に比して農間渡世が割合に少なく農業が多かったが,江戸後期に至っても養蚕が未発達で,わずかに賃機織と木綿取りが行われた徳蔵寺は文禄3年南氏の開基古来の浄蓮寺は無住,徳蔵寺の兼住であったが,明和3年当地方に佐位三十四か所観音霊場が設けられるとその第27番札所となり,寺内に34体観音像が奉祀された墓域に巡業中当地で急死した二代目沢村田之助の墓塔がある鎮守勝手大明神は,戦国末期南氏が鬼門除として創祀し,その付祭りには元禄年間に伝承されたという火挟流獅子舞が行われた江戸末期に上矢島村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢島村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢島村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢島村(近世) 江戸期~明治7年の村名群馬郡のうち利根川と端気【はけ】川の河間に位置する前橋藩領「寛文郷帳」では阿内宿村の高に含まれる元禄2年に検地が行われており,同年頃に一村になったと思われる村高は,「元禄郷帳」221石余,「天保郷帳」248石余,「旧高旧領」も同高なお寛保2年の村高248石余,ほかに寅~戌の新田1斗余(前橋市史2)明治4年前橋県,群馬県を経て,同6年熊谷県に所属同7年亀里村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」