ケータイ辞書JLogosロゴ 赤芝新田(近世)


埼玉県>川口市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡のうち。古くは赤山村のうちであったが,正徳4年伊奈半十郎が検地した際に分村。はじめ伊奈氏の知行。寛政4年からは幕府領。検地は正徳年間・寛保4年・天明4年。村高は正徳4年には143石余,「天保郷帳」では147石余で,以後変わらず。宝暦3年の家数15・人口74(杉浦文書)。村の規模は東西4町・南北2町。化政期の家数11軒。丘陵地が多く,用水は天水を利用。畑地では小麦・大豆・ショウガを生産。柿の木が多く,渋を採って江戸へ出荷(遊歴雑記)。鎮守は稲荷社,ほかに妙義社。寺院は稲荷社の側に地蔵を安置した庵があったが,明治初年廃寺となる。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数18・人口95,馬1,荷車5。物産は米・大麦・小麦・大豆・小豆など,明治12年北足立郡に所属。同22年神根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285155
最終更新日:2009-03-01




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