ケータイ辞書JLogosロゴ 阿久間郷(中世)


埼玉県>吉田町

 戦国期に見える郷村名。秩父【ちちぶ】郡のうち。元亀2年10月1日の武田家高札(彦久保文書)に「あくま」と見える。武田方軍勢の郷中での乱妨狼藉が禁制されており,元亀年間前後は武田信玄の支配下にあった。天正9年3月18日の北条氏邦印判状では,志路屋四郎・三郎が鉢形【はちがた】北条氏家臣黒沢上野守の被官に取り立てられ,「あくま山中」に給地を与えられることが約されており,この頃より鉢形北条氏の支配下に入る。同14年3月10日印判状では,奉行人の「阿久間内 志路屋四郎左衛門 三郎左衛門 右京」に阿久間郷周辺の山地の管理・逃散者の処置が命じられている。同年10月18日の「阿久間篠蔵百姓与二郎」宛ての印判状では,助左衛門・市右衛門・小六郎は譜代の家臣ではないこと,横手倉の田地の無沙汰については代官大高に仰せ付けられるべきこと,女之礼儀として代官大高に差し出させられた馬は,そのような課役はないので馬を取り返すべきことなどが命じられている。天正18年7月の岡本良勝条目では,押買狼藉禁止など7か条の掟書が布令され,鉢形城落城後に当郷は豊臣秀吉家臣の岡本良勝の支配下に入った(武文)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285183
最終更新日:2009-03-01




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