ケータイ辞書JLogosロゴ 明戸村(近世)


埼玉県>深谷市

 江戸期〜明治22年の村名。幡羅【はたら】郡のうち。はじめ幕府領,寛永4年川越【かわごえ】藩領,同11年駿河【するが】田中藩領,同16年幕府領,寛文4年からは旗本大久保氏の知行。検地は慶長16年・万治2年。村高は「田園簿」で686石余,うち田252石余・畑434石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに686石余。村の規模は東西11町・南北9町。化政期の家数108軒。鎮守は諏訪社。神社はほかに雷電社・弁天社・稲荷社など。寺院は真言宗阿弥陀寺。小名は本郷・入枝・駒帰など。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数133・人口661,馬25,荷車3。物産は繭・米・大麦・瓦・葉藍など。明治12年幡羅郡に所属。同22年明戸村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285199
最終更新日:2009-03-01




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