ケータイ辞書JLogosロゴ 明戸村(近代)


埼玉県>深谷市

 明治22年〜昭和29年の自治体名。はじめ幡羅郡,明治29年からは大里郡に所属。蓮沼・江原・石塚・沼尻・藤ノ木・堀米・新井・明戸・上増田・宮ケ谷戸10か村が合併して成立。大字は旧村名を継承。大字蓮沼に役場を設置。村名は旧村中最大の明戸村による(合併史)。明治22年の人口3,987。世帯・人口は大正9年1,063・6,017,昭和15年1,025・6,120,同25年1,358・8,007。小山川の氾濫によって受けた被害は明治31年浸水563戸・流破壊4戸,死傷者1人,流失田畑473町余,同40年全戸浸水,同43年浸水625戸・流破壊135戸,死傷者23人,流失田畑625町余に及んだ。また昭和22年のカスリン台風では浸水550戸・流失田畑272町余の被害を受けた。昭和30年1月1日深谷【ふかや】町ほか3か村と合併して深谷市となる。各大字は同市の大字として存続。現在の深谷市北東部。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285200
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ