ケータイ辞書JLogosロゴ 新井村(近世)


埼玉県>本庄市

 江戸期〜明治22年の村名。はじめ上野【こうずけ】国那波【なば】郡,のち武蔵国児玉【こだま】郡本庄領のうち。古くは若泉荘に属したという。寛永2年,利根川の大洪水で烏川が流路変更になり,武蔵国に所属したという(上野国志)。はじめ本庄藩領,慶長17年幕府領,寛永10年旗本松平氏知行。寛文5年幕府領,元禄11年旗本古田・筧・東条(のちに吉良)3氏の相給。新田は寛政3年検地で,幕府領。村高は「田園簿」で697石余,うち田80石余・畑616石余,「天保郷帳」700石余。利根川端に三友河岸と称する河岸場がある。三友の名は榛沢【はんざわ】郡横瀬村の大日堂所蔵の天正11年紀銘の棟札に新井・三友両氏の名が見え,当地の土豪であろうと伝えている。安永3年河岸吟味を受けた問屋株は3軒あり,明治初年には船問屋1軒,同10年頃は10石積荷船22艘を備えていた。村の規模は東西10町・南北12町余。化政期の家数20軒。村内を前橋(現群馬県前橋市)・沼田(現沼田市)方面に至る街道が通り,また飛地が小島【おじま】村内にあった。鎮守は稲荷社,神社はほかに1社。寺院は新義真言宗真盛山清淵寺・浄土宗徳実山浄善寺。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数100・人口572,馬7・荷舟22・漁船2。公立小学校は清淵寺に新井学校あり,生徒数60。物産は大麦・繭・蚕卵紙・生糸・生絹・生太織・紬など。明治12年児玉郡に所属。同22年旭村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285289
最終更新日:2009-03-01




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