ケータイ辞書JLogosロゴ 荒河之郷(中世)


埼玉県>花園町

 戦国期に見える郷村名。榛沢【はんざわ】郡のうち。天正4年10月21日の北条氏邦印判状に,「荒河之郷」の領主持田四郎左衛門以下9人の軍役が定められている。持田氏を中心として馬上3人・鑓持侍3人・足軽3人の計9人で荒川衆が構成され,鉢形【はちがた】城主北条氏邦の家臣団であったことがわかる。また翌丑年8月20日の北条氏邦印判状では荒川郷が両分されて,荒川の持田氏6人,只沢【たださわ】の持田氏5人の計11名で荒川衆が構成されており,中島・河田・大嶋などの土豪の存在も知られる。また天正14年3月15日の北条氏邦印判状は,郷中の掟を定め,質取・喧嘩・人身売買・とばく等を禁止し,違反者があれば目安をもって鉢形城まで申し出るべき旨を命じている。翌亥年6月10日には当郷の百姓や牢人および出家までに陣触が出されており,本文書から郷内の棟別銭が免除されていたことがわかる。天正16年氏邦は荒川郷の検地を行い,8月15日に印判状をもって荒川郷の永高を20貫209文と定めた。このうち開発に尽力した11人に3貫668文を,また持田四郎左衛門に1貫541文をそれぞれ与え,残り15貫文を定納と定めた。さらに荒地の新田開発を奨励し,開発地を永代知行地として与え諸役を免除した。しかし軍役は免除せず,新開者を氏邦の軍事体制下に編入した。なお本文書には「荒川・多田沢両村」とあり,この時点ではすでに荒川村が成立していたことがわかる(持田文書)。→只沢村【ただざわむら】
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285307
最終更新日:2009-03-01




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