前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 飯田とは

「飯田」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

飯田


県中央部,外秩父【そとちちぶ】山地の東縁部に当たり,兜【かぶと】川右岸,小川盆地北西部の山間地に位置する...

全文を表示する


[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7285348]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

◆関連辞書(JLogos内)


  1. amazon商品リンク
飯田郷(中世)

鎌倉期~室町期に見える郷名相模国鎌倉郡のうち治承4年の石橋山合戦に際して,大庭景親の軍中にいながら源頼朝を助けた飯田五郎家義は,当郷の在地領主だったものと思われる(吾妻鏡治承4年8月23日条)郷名の初見は永仁6年7月13日の関東下知状で,「相模国飯田郷一分地頭」とある(相模文書/県史資2‐1230)この下知状は,永福寺薬師堂供僧承忠法印代承成と当郷一分地頭飯田四郎の孫女藤原氏代小田切五郎入道浄意の相論の対象となった供米について裁許したもので,当郷内における藤原氏の知行分の公田5反については毎年1石5斗を進済することになっていたが,永仁3・4年の分は対捍し,同5年分を難渋していると承成が訴え,幕府は地頭に弁済するよう命じているなお弘安10年から正応3年までの4年間分は惣領飯田義綱が代わりに弁済していたことが知られるまた,正安元年10月27日の関東下知状によると,前述の承成と当郷地頭との間で相論が起きている(杉浦文書/同前1267)当郷の所当米は毎年180石で,延応元年9月12日の飯田能信への下知状に任せて収納は寺家の斗を用いること,直接に仏聖供僧や預承仕へ下行すべきこと,壇供餅と御節供は供米180石のうちに含めることなどが定められているまた元亨2年2月27日の関東下知状でも,文保元年以降の供米の未進について,薬師堂供僧伊予僧都厳演と当郷地頭飯田四郎女子尼玅心との間で相論が起きており,玅心は公田7町1反60歩のうち5反分の供米は惣領飯田家頼に究済したと弁じたため,未済分を弁済するよう命じられている(相模文書/同前2283)また,元徳3年8月27日の関東下知状でも当郷一分地頭飯田家頼と厳演との間で相論があり,正中2年から嘉暦2年までの未済分3石1斗を究済するよう家頼に命じたところ,その下知に従わないため,家頼の知行分は下地を中分して一方を寺家に付すよう命じている(神田孝平氏所蔵文書/同前2969)なおこれより先弘安8年2月22日の関東下知状には「渋谷庄西飯田郷内田壱町在家壱宇」と見え,右大将(源頼朝)家法華堂に寄進されており,渋谷荘内であったことが知られる(法華堂文書/同前1010)また,室町中期(15世紀末~16世紀)の成立と推定される「日蓮聖人註画讃」によると,弘安5年10月日蓮は武蔵国池上で没するが,その遺骨は10月21日池上を出て当地に宿し,身延山へ送られたという(続群9上)下って南北朝期の観応元年12月28日の善波有胤着到状写によると,足利基氏は12月25日当地を発向し愛甲【あいこう】郡飯山寺に向かっている(相文/県史資3上‐4057)「鶴岡事書日記」の応永5年6月条によると,当郷の役として鶴岡下宮の通夜壇所の畳を社家の公文所に敷設することになっていたが,当郷は完戸氏が深沢跡と混同して知行してしまい,不知行となっていたことが知られる(神道大系)同23年10月には,上杉禅秀が足利持氏に対して反乱を起こすが,翌年正月には幕府軍が飯田原を経て鎌倉にせまったため,禅秀軍の多くが寝返り,この乱は終息したこの幕府軍の中に石川幹国がおり(石川文書/県史資3上‐5506・5512),武州北白旗一揆の別府尾張入道代内村勝久は,正月10日当地に陣し,翌日鎌倉へ入ったことなどが知られる(別府文書/同前5503)「香蔵院珎祐記録」長禄4年正月5日条に「一,上宮分……小……飯田郷五十枚〈強入部不参〉」とあり,修正会の御壇供の餅の上宮分230枚のうち50枚を当郷が負担している(神道大系)また同5年3月条には「飯田郷一所在之〈彼飯田郷内一所別当之被寄者也〉」と見え,御八講・同四季講の料所になっていたことがわかる(同前)その後,戦国期の「役帳」には,小田原北条氏御家中役之衆の山中馬寄平山源太郎の所領役高として「五拾貫文 自前々無役 東郡飯田」と見え,同じく玉縄衆川上藤兵衛の所領役高として「卅八貫弐百文 東郡下飯田」とある現在の横浜市戸塚区上飯田町・下飯田町を中心とするあたりに比定される

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

飯田藩【いいだはん】
(近世)江戸期の藩名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

飯田藩(近世)
江戸期の藩名外様中・小藩居城は飯田城天正10年武田氏を滅ぼした織田信長は毛利秀頼に伊那全郡を与え飯田に居城させたが,同年本能寺の変により秀頼は京都に帰った次いで徳川家康の領有下に下条頼安・菅沼定利が在城したが,同18年徳川氏の関東移封に従って菅沼氏が上野国吉井に移ると,豊臣秀吉配下の毛利秀頼が再度入封した同年から同19年に領内の検地が施行され伊那郡の総石高は10万612石余となった秀頼は飯田城の拡張改修や町並みを整備し京都風の城下町の礎をつくった文禄2年秀頼が文禄の役の帰途病死すると,その女婿京極高知が跡を継いで城下町や領内の街道・宿駅の整備に努めた高知は関ケ原の戦功により加増されて丹後国宮津に移り,下総国古河から小笠原秀政が入封する以後,当藩は初期伊那郡10万石余のうち飯田町を中心とする下伊那の3万6,000石・上伊那1万6,400石の5万石に限られ,これ以外の旧飯田領は上伊那に2万5,200石の高遠【たかとお】藩領をはじめ,特に下伊那は諸旗本領と幕府領が錯綜して細分された秀政は伊那街道の西側に春日街道を開いたが,のち廃道となった慶長18年小笠原氏の松本・転封後の飯田領はしばらく幕府領となり松本藩預りとなった元和3年伊予国大洲から脇坂安元が入封,小笠原氏と同様5万石と上総国長柄郡5,000石の5万5,000石を領した安元は飯田城惣堀(外堀)を造成しその土居際に近郷の仏閣を集めて防備を固め,飯田18町の町並みを整え,新田開発,井水の改修に努め,検地を順次施行した安元は文武ともにすぐれ,歌道は当時武家第一の歌人と称され林羅山をはじめ中央の文人とも交流して当地に学問・文化を盛んにする素地をもたらした元和年間から中部山岳地域の運輸機関である中馬が発生し,その拠点となった飯田町は商人町としても繁栄するようになる安元を継いだ安政は,寛文12年5月播磨国竜野に転封同年閏6月下野国烏山から堀親昌が入封した藩領は下伊那のうち飯田町周辺の2万石に削られ,他の旧飯田領1石5,000石は幕府領となったのち,天和元年尾張支藩松平義行領に割かれた堀氏は親昌・親貞・親常・親賢・親庸・親蔵・親長・親忠・親民・親・親義・親広の12代約200年を経て明治維新に至った寛政8年藩主となった親は夫人が松平定信の姪であったゆえに定信の政策を慕い家中に対し武芸・倹約,領民への慈愛,備荒貯蓄を奨め治績をあげた幕政にも参画し文化11年御奏者番,文政9年寺社奉行,同11年若年寄,同12年御側御用人と進み,天保の改革では老中水野忠邦に献策した功績により,天保14年幕府領のうち7,000石を加増され老中格に昇進したが,水野の失脚に連座して弘化2年加増分と本知3,000石の1万石を減知,蟄居の身となり藩領は1万7,000石となったさらに元治元年武田耕雲斎ら浪士の領内通行に無策であったため,2,000石の減封を受けた11代親義は文久3年寺社奉行,元治元年講武所奉行に短期間任じられた堀氏時代の藩財政は年貢米を引当てとする御仕送御用達からの御定借に頼る借金財政で,御用金名目の賦課金も多かった宝暦年間,藩は大坂・駿府加番,江戸屋敷焼失などで財政難となり,宝暦11年には郡奉行が中心となって千人講を画策したが一揆にはばまれて失敗した江戸期に発展した紙漉業は文化年間に最盛であった藩は専売制で利益を得る意図で問屋を設置したが,商人や生産者により騒動が生じて断念した初期に発生した中馬は中期から後期にかけて盛行をきわめ,飯田町は「入り馬千疋,出馬千疋」といわれ,小藩の城下ながら活況を呈した明治4年7月廃藩,飯田県となる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

飯田郷(中世)
 鎌倉期から見える郷名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

飯田郷(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える郷名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

飯田郷(中世)
 南北朝期~戦国期に見える郷名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

飯田城下(近世)
 江戸期の城下町名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

飯田村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

飯田郷(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える郷名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

飯田村(近世)
 江戸期~明治23年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

飯田新田(近世)
 江戸期~明治22年の新田村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
427曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『婦人警官記念日、哲学の日』

1946(昭和21)年のこの日、GHQの指示により、東京警視庁に日本で初めて婦人警官62名が採用されました。当時はほとんどが事務職でしたが、現在では女性白バイ隊など幅広い職種で働いています。

今日の暦

月齢:18

月齢:18
月名(旧歴日):居待月(いまちづき)

・2024年(年/竜)
・4月(卯月/April)
・27日
・土
・Saturday
・先負

二十四節気:「穀雨<
・a>」から<
・font>8日「
立夏<
・a>」まで<
・font>8日


JLogos Now!!