ケータイ辞書JLogosロゴ 飯塚村(近世)


埼玉県>川口市

 江戸期〜明治22年の村名。足立【あだち】郡平柳領のうち。はじめ幕府領,のち宝永3年大部分が根津権現社(東京都文京区)領となる。検地は元禄10年,持添新田は延享元年。村高は「田園簿」で320石,「元禄郷帳」では288石余,「天保郷帳」では289石余。村の規模は東西6町・南北8町。化政期の家数48軒。助郷は中山道蕨【わらび】宿に出役。用水は見沼代用水を利用。米麦のほかに菜種などを江戸・大坂に出荷(遠山文書)。天保14年の戸数48・人口284(蕨市の歴史)。農間余業として機織がわずかに行われ,ほかに桶屋・大工・薪切りなど各1。鎮守は恵美須社,神社はほかに天神社・神明社・熊野社。寺院は新義真言宗薬王山観音寺最勝院。ほかに地蔵堂・弥陀堂,また村持の大日堂がある。高札場は村の南東部。小名には大境耕地七台・鼠海道耕地・新田境耕地など。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数64・人口379,馬1,漁船1・水害予備船13,荷車2。物産は鶏・鶏卵・米・大麦・サトイモ・クワイ・雨傘・菜種油・ゴマ油・小倉帯など。同12年北足立郡に所属。同22年横曽根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285356
最終更新日:2009-03-01




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