ケータイ辞書JLogosロゴ 飯塚之原(中世)


埼玉県>花園町

戦国期に見える地名榛沢【はんざわ】郡のうち初見は永禄5年10月10日の乙千代丸(北条氏邦)知行宛行状で,逸見蔵人佐に知行として「四貫三百文 藤田飯塚ニ有之,東方寺」など合計6貫300文を戦功の賞として宛行っている(逸見文書/武文)次いで天正4年霜月19日の北条氏邦印判状に「飯塚之原ニ有之大串雅楽助分,下地諸役不入ニ,自来丑歳七ケ年御定候」,同12年と推定される申霜月15日の北条氏邦印判状にも「飯塚伏候,三郎兵衛大串雅楽助分ニ候」(根岸文書/武文)また,文明12年と推定される太田道灌状の文明6年の条に「自飯塚早朝景春馳越,堅申留候」と見える江戸期の飯塚村一帯と思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285363
最終更新日:2009-03-01




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