ケータイ辞書JLogosロゴ 石田本郷(中世)


埼玉県>川越市

 戦国期に見える郷村名。入間郡のうち。初見は天正14年正月10日の小田原北条家印判状で,「本郷 百姓中」に宛てて「戌年(天正14年)大普請人足」3人を小田原城大普請(修築)のために出すことが命じられている(大野文書/川越市史)。また翌15年正月15日の同家印判状でも同様に3人の人足徴発が命じられている(同前)。この頃には豊臣秀吉の来攻を間近かと考えた小田原北条氏は各郷村から3人の農兵を徴集しはじめ,同15年7月晦日の同家印判状では当郷も3人の農兵を出す義務を負い,「ひらひら武者めくやうに」用意して小田原城への参集を命じており,次いで同18年2月23日の印判状では天正17年分の蔵米銭の当郷負担分25俵6升6合が未進であるから3月5日を限って小田原城の蔵奉行に渡すことを厳命した(同前)。天正15年7月および同18年2月の印判状は「本郷 小代官百姓中」に宛てられており,文書の所蔵者大野家が北条氏治下において当地の小代官であったと思われる。また当郷は単に本郷と記されたものと考えられ,石田本郷は小田原城の直轄領であったことがわかる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285426
最終更新日:2009-03-01




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