ケータイ辞書JLogosロゴ 板井村(近世)


埼玉県>江南町

 江戸期〜明治22年の村名。男衾【おぶすま】郡松山領のうち。古くは篠場荘に属したという。はじめ幕府領。元和3年5月26日,徳川秀忠知行宛行状では牛奥昌雄に当村を宛行っている(記録御用所)。正保年間頃は旗本牛奥左源太・長塩又左衛門・牛奥長吉の相給。左源太知行分は寛政10年旗本亀井氏の知行となり,幕末に至る。このほか天明3年と延享元年に新田検地された47石余の幕府領がある。村高は「田園簿」では170石余,うち田95石余・畑75石余,「元禄郷帳」では変わらず,「天保郷帳」では218石余。化政期の家数40軒。寺院は本山派修験板井山薬王院長命寺,元和2年没の鉄山東銀開山の曹洞宗板井山宝光寺。神社は「延喜式」神名帳に見える出雲乃伊波比神社に当たるという鎮守氷川社,ほかに鹿島社など。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数51・人口272,馬23。耕地は地味粗悪で稲粱に不適,桑・茶・コウゾに応ずるが,時々ひでりに苦しむ状況であった。住民は農・養蚕に従事し,米・大麦・小麦・コウゾ・桑・生絹を産出。同12年男衾郡に所属。明治22年小原村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285469
最終更新日:2009-03-01




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