ケータイ辞書JLogosロゴ 一ノ割村(近世)


埼玉県>春日部市

 江戸期〜明治22年の村名。市野割・市ノ割とも書く。埼玉郡新方【にいかた】領のうち。はじめ幕府領,のち岩槻【いわつき】藩領,宝暦3年からは再び幕府領。元和4年と推定される午10月8日の年貢割付状には「内出村之内市わり村」と見える(長野家文書)。江戸初期に内出村から分村。村高は「田園簿」で147石余,うち田45石余・畑102石余,「元禄郷帳」では369石余,「天保郷帳」では370石余,以後変わらず。村の規模は東西11町・南北8町。化政期の家数は85軒。用水は古利根川,排水は小川悪水堀・諏訪堀などを利用。日光街道粕壁【かすかべ】宿の助郷を負担,村の北東を日光街道が通る。鎮守は,もと新方領の惣鎮守で,中世以来の香取社。寺院は浄土宗円福寺。高札場1か所。小名にはみみよう・堂免。旧家には弥平太家井上氏。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数92・人口480,馬15,耕作船40,荷車1。農業を専らとし,女は養蚕・機織を行う。物産は米・大麦・小麦・大豆・小豆・白木綿・蚕卵紙・繭など。同12年南埼玉郡に所属。同22年武里【たけさと】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285486
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ