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「一本木」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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一本木新田(近世) 江戸期~明治22年の新田名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一本木村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一本木中ノ町【いっぽんぎなかのちょう】 (近世)江戸期~明治5年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
一本木中ノ町(近世) 江戸期~明治5年の町名江戸期は広島城下の武家屋敷地広島城のある三角州の北端に位置する白島【はくしま】の地にあり,北は本川(太田川)・京橋川町名の由来は,一本木の地の中央にあることによるものか江戸前期の城下町建設に伴い,白島村のうちに成立した町は北端の一本木の鼻から南に延びる竪町で,通りの両側には歩行組以下の拝領家・多門が並ぶ一本木には歩行組以下拝領家が197軒・5,770坪余があった(広島藩御覚書帖/県史近世資料編)宝永6年藩は一本木に長屋44軒を作り,長柄の者を居住させた(広島市史)享保14年一本木の鼻に出火した火事は白島・松原に延焼,侍屋敷103軒・歩行組以下の家200軒・寺2・町家46軒を焼失火災のあと藩府は一本木の多門を廃止し,替地を平塚・矢賀新開・段原村に与えた(知新集)付近の堤は洪水のたびに決壊したため,里人に堤を踏み固めさせたことから,毎年7月15・16日の両夜躍の行事が始まったと伝える明治5年白島十番町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一本木村【いっぽんぎむら】 (近世)江戸期~明治6年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
一本木村(近代) 明治22年~昭和30年の東津軽郡の自治体名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一本木村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一本木原【いっぽんぎはら】 岩手郡滝沢村にある岩手山東側の裾野をいう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
一本木村(近世) 江戸期~明治6年の村名壱本木村とも書く県北西部,利根【とね】川中流右岸に位置する榛沢【はんざわ】郡藤岡領のうち正保2年小和瀬【こわぜ】村から分村して成立はじめ旗本三枝氏の知行,のち幕府領村高は「元禄郷帳」に小和瀬村元枝郷壱本木として7石余,以後変わらず利根川端に一本木河岸があったが無家のため小和瀬村で維持管理したこの一本木河岸は寛永年中にはじまり(新編武蔵),本庄宿の外港として栄えたが,安永年間洪水によって川瀬が変わり,また本庄宿商人組合が上流の山王堂河岸などを利用するようになりさびれたが,文化5年,山王堂河岸の運賃引き上げ要求による紛争から,本庄宿商人組合と一本木河岸とで外港としての契約が結ばれ,化政期に最盛期であった本庄宿の繁栄とともに栄えた(小川家文書)明治6年小和瀬村に合併なお,一本木の名は現在の本庄市小和瀬の字名として残る... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
一本木【いっぽんぎ】 中野扇状地の扇頂から扇央部へかけて位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
一本木村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」