ケータイ辞書JLogosロゴ 稲子村(近世)


埼玉県>羽生市

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡羽生【はにう】領のうち。古くは葛浜郷太田荘に属したという。はじめ羽生藩領,のち幕府領,ついで甲府藩領,元文5年上野館林藩領,弘化2年出羽長瀞【ながとろ】藩領,慶応3年からは幕府領。検地は承応3年,新田は貞享4年。村高は「田園簿」で657石余,「元禄郷帳」636石余,「天保郷帳」では653石余で,以後変わらず。慶長10年12月,羽生城代から源長寺宛の書状に「道原村」と見え,源昌院付近を道原村と呼んだ(現在小字名に残る)。村の規模は東西8町・南北13町余。化政期の家数120軒。用水ははじめ北河原用水,寛文6年からは稲子用水を開削して使用。稲子河岸と称する河岸場があり,船積問屋の甲山家は安永3年の創立。高札場は1か所。鎮守は諏訪社。寺院は新義真言宗西方山光明院・曹洞宗祥平山源昌院。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数136・人口621,馬22,荷船2・渡船1・耕作船27。物産は米・麦・大豆・小豆・ソバ・清酒・蚕卵紙・生糸・無地紺,余剰は羽生・行田【ぎようだ】両町に出荷。明治7年源昌院に公立小学校が開校し,稲子学校と称した。明治12年北埼玉郡に所属。同22年川俣【かわまた】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285509
最終更新日:2009-03-01




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