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今泉村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今泉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今泉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今泉村(近世) 江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今泉荘【いまいずみのしょう】 (中世)平安期~南北朝期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
今泉荘(中世) 平安期~南北朝期に見える荘園名和泉国和泉郡のうち近衛家領,のち吉水院領「執政所抄」によれば,保安元年12月に元旦の摂関家用途薦が当荘に課せられて「今泉卅枚」とあることから,当荘はすでに平安末期には摂関家領となっていた(続群10上)また年未詳の兼貞・珍光時論田勘注案に「永久四年五月廿七日今泉御庄預所河内権守惟安下文一通」と見え,当荘の預所が河内権守惟安であったことが知られる(近衛家本知信記紙背文書/平遺1999)さらに鎌倉期には,「猪隈関白記」の正治2年正月10日条に収められた春日祭雑事定文(鎌遺1098)に「前駈三十前 今泉御庄」とあり,近衛家領として伝領されたことがわかる当荘は,用水や燃料・肥料としての柴草を確保するために,これらを槇尾川上流の横山郷に求め,ついには建仁元年4月当荘は槇尾寺と横山郷の田地山林の領有について相論を起こした(猪隈関白記/和泉市史1)しかし同年12月に横山郷を槇尾寺領として恒例臨時の諸国役を免除せよとの国司庁宣が出され,今泉荘の敗北に終わった(施福寺文書/府史)その後寛喜2年4月28日付の正願院仏事用途所当注進状(興福寺文書/鎌遺3983)に,興福寺の正願院が当荘の年貢のうち綿80両を皇嘉門院の月忌仏事料として徴収していることが見えるが,当荘は近衛家領として伝領され,建長5年の近衛家所領目録(近衛家文書/広島県史資料編5)によると,寛元4年8月25日に当荘は近衛家実から兼経に譲り渡されているしかし南北朝期になると,当荘でも軍勢の違法乱暴が続いたので,南朝はその鎮圧を命ずるとともに当荘を吉野の吉水院領として安堵し,近衛家の手を離れた(南行雑録/大日料6-14)荘域は現在の泉大津市穴田・池浦・虫取など槇尾川北岸一帯の地域に比定されるが,そのほかにも散在所領が存在したものと思われる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今泉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今泉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今泉村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今泉村【いまいずみむら】 (近世)江戸期~明治5年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
今泉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」