ケータイ辞書JLogosロゴ 芋茎村(近世)


埼玉県>騎西町

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡騎西【きさい】領のうち。はじめ騎西藩領,のち幕府領。元禄2年川越藩領を旗本安藤氏の知行地に分与。川越藩領は宝永元年出羽山形藩領,ついで川越藩領,慶応2年上野前橋藩領。村高は「田園簿」で577石余,うち田295石余・畑281石余,「元禄郷帳」1,005石余,幕末は1,167石余(旧高旧領)。村の規模は東西12町・南北20町。化政期の家数117軒。検地は寛永2年。寛政5年,用水の開削につくした旗本安藤氏の生祠「安藤羽州公宮」を建立。用水は星川と新川を使用。高札場は2か所。鎮守は神明社と久伊豆神社,ほかに3社。寺院は戦国期に上杉・小田原北条両氏間の戦乱で焼失し,のち天正年間に再興したという曹洞宗海福山医王寺。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数140・人口734,馬40,渡船1。渡船場は星川にあった。物産は米・麦のほか大豆・小豆・綿・木綿縞・青縞など。同6年7月医王寺を仮用し芋茎学校を設置,生徒数105。同12年北埼玉郡に所属。同22年鴻茎【こうぐき】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285572
最終更新日:2009-03-01




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