ケータイ辞書JLogosロゴ 入曽村(中世)


埼玉県>狭山市

戦国期に見える郷村名入間【いるま】郡のうち天正14年(干支は巳とあるので天文の誤りか)正月3日の出陣衆覚に「武州入曽村拾弐衆」とあるのが初見木下越後・はゝ与右衛門以下12名が記されているこの文書は別名「奥州様御扶持人覚」とも称されており,この入曽十二衆は八王子城主北条隆奥守氏照に属していたことがわかるこの12名のうち小沢高中なる者は江戸期の仁左衛門家の祖先というまた天正18年4月日の豊臣秀吉禁制(所沢市中氷川神社文書)によれば,武蔵国の入曽ほか5か所に対し,軍勢の濫妨,放火,寺家門前の輩に対する非分を禁止し,5月にはこれを前田利家が施行している江戸期には南入曽村・北入曽村に分村現在の狭山【さやま】市大字南入曽・北入曽のあたり
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285577
最終更新日:2009-03-01




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