ケータイ辞書JLogosロゴ 内田ケ谷村(近世)


埼玉県>騎西町

 江戸期〜明治22年の村名。埼玉郡騎西領のうち。古くは海上郷山根荘,一説には西荘多ケ谷郷に属したともいう。はじめ川越藩領,のち幕府領,次いで元禄年間から旗本正木・会田・小笠原・久世氏の相給となる。「田園簿」の村高は366石余,うち田74石余・畑292石余,「元禄郷帳」716石余で,以後変わらず。検地は正保4年。天保年間の戸数59。高札場は4か所。鎮守は熊野社・諏訪社,寺院は新義真言宗熊野山大福寺・本山派修験山野院。明治4年埼玉県に所属。同9年の戸数80・人口468,馬22。物産は米・麦のほか大豆・小豆・綿・木綿・青縞など。同12年北埼玉郡に所属。同19年上崎・田ケ谷・道知学校を統合し聯精学校を新築設置。同22年,田ケ谷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285681
最終更新日:2009-03-01




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