ケータイ辞書JLogosロゴ 馬引沢村(近世)


埼玉県>日高市

 江戸期〜明治22年の村名。高麗郡のうち。古くは加治領に属したという。はじめ幕府領。正保年間頃は旗本酒依・土屋氏の相給と幕府領。宝永2年からは旗本松平伝左衛門と土屋氏の相給,享保年間には村の南方に持添新田があり,幕府領。寛永2年10月23日の徳川秀忠知行宛行状には旗本酒依昌吉に当村内85石を宛行うとある(記録御用所)。検地は元禄6年,新田は享保10年。村高は「田園簿」で102石余,「元禄郷帳」103石余,以後変わらず。用水は芦苅場村から流れる細流を利用。村内を川越【かわごえ】へ至る道が通る。村の規模は東西4町・南北5町。化政期の家数20軒。高札場は村の南部に2か所。鎮守は酒依氏をまつる剣明神社,神社はほかに2社。寺院は慶長年間に領主酒依氏の開基という曹洞宗長谷山常円寺。化政期には酒依氏の屋敷跡が村内にあった。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数26・人口125,馬4。物産は繭・茶・生糸。常円寺に公立小学校があり,生徒数123。村の南方に飛地が1か所あった。明治12年高麗郡に所属。同22年高萩【たかはぎ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285708
最終更新日:2009-03-01




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