ケータイ辞書JLogosロゴ 扇町屋村(近世)


埼玉県>入間市

 江戸期〜明治22年の村名。入間【いるま】郡山口領のうち。はじめ幕府領,正保年間頃には旗本朝比奈氏の知行,延享4年田安家領,天保2年幕府領。村高は「田園簿」に扇子町屋村と見え74石余,うち田4石余・畑69石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに246石余。なお,扇町屋新田は「天保郷帳」では317石余。検地は元禄6年。持添の扇町屋新田は幕府領で,宝暦8年の検地。村の規模は東西1里半・南北20町余。化政期の家数90軒。享保年間の武蔵野新田開発地は善蔵新田・扇町屋新田・長谷部新田(東京都瑞穂【みずほ】町)の3か所。農間渡世は,「男は作間に駄賃・店入・日雇・小店にて少々商い,女は作間,木綿織」を専らとした(長谷部家文書)。村内の愛宕権現・新田大明神合社は新田義興を祀り,朱印8石を賜り,境内には義興とともに討死にした家臣を葬った十三塚がある。神社はほかに山王社。寺院は朱印10石を拝領した曹洞宗長泉寺。高札場は村の中央部。小名は古塚・本宿など。慶安年間に八王子千人同心の日光勤番制が始まると,八王子(東京都)〜日光間に来聘使街道が設けられ,扇町屋は宿駅となった。当村の任務は「日光火消,八王子御番控様の御通行場」「御朱印御礼文の御伝馬」「御勘定様方,御普請諸役様,御鷹匠様の宿」であった(長谷部家文書)。「徳川実紀」には,「常時甲斐の郡内に往来し,絹布をはじめ産物を仲買して江戸に持ち出し売りひさぐを常の業とせしなり」と八王子千人同心の商業活動を記しており,このような千人同心の往来により,武州の同心往還道沿いでは商業が発展した。また,当地は富士・大山講の参詣者の往来でもにぎわっていた。当村は,江戸中期以降木綿縞生産の集荷市場とし,幕末〜明治初期に至っては米の集散地として名をはせた。米の穀市は毎市2万俵以上が取引されたといわれ,市日は米と馬と人で通りをうめつくし,子供は往来で遊べないほどであったという(豊岡町史)。文政10年,入間・高麗【こま】郡56か村が扇町屋寄場組合を結成し,当村は大寄場となった(扇町屋地誌)。幕末の米問屋は,寄場総代の長谷部太七家ほか10軒余(豊岡町史)。慶応2年武州一揆の際,民衆に富の開放を求められ,浅田茂吉(米穀)・山村善太郎(年寄,味噌醸)・麻屋徳兵衛(米穀)・栗原徳兵衛(名主)・長谷部太七(大惣代,酒造・米穀)家が襲われている(長谷部家文書)。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数185・人口677,牛11・馬20,荷車22・人力車32・牛車11。物産は繭・茶・木綿縞・清酒など。飛地が小谷田・宮寺2か村の間と善蔵新田・高倉2か村の間にある。明治12年入間郡に所属。同22年豊岡町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285789
最終更新日:2009-03-01




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