ケータイ辞書JLogosロゴ 大相模郷(中世)


埼玉県>越谷市

 戦国期に見える郷村名。埼西【きさい】郡のうち。初見は元亀3年2月9日の下総【しもうさ】飯沼城主北条氏繁判物に「大摸不動院」と見えるが,大摸は大相模のことであろう。不動院は岩槻【いわつき】の祈願所で,諸役は免除されていたが,これを無視して横暴を働く輩がおり,これに対し,岩付城代北条氏繁は岩付太田氏の支配を円滑にするように命じている。天正14年正月28日には,太田氏房禁制が大相模不動坊に宛てて発せられており,喧嘩・押買・博奕などが禁じられている。天正18年の徳川氏関東入国後,不動院の僧定伝は家康の帰依をうけ,翌19年11月には「騎西郡大佐美郷之内 六拾石」の寺領が寄進された(大聖寺文書)。なお慶長年間の真言宗と山伏衆との対立の際に作成された同17年8月6日の関東八州真言宗連判留書案には,「武州大サカミ大聖寺」の名が見え,真言宗勢力の一拠点だったことがわかる(醍醐寺文書3)。なお「新編武蔵」によれば,江戸初期には見田方【みたかた】・東方・西方の3か村に分かれたという。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7285847
最終更新日:2009-03-01




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