ケータイ辞書JLogosロゴ 大御堂村(近世)


埼玉県>上里町

 江戸期〜明治22年の村名。賀美【かみ】郡安保【あぼ】領のうち。古くは長幡【ながはた】郷丹之荘に属したという。はじめ幕府領,正保年間には旗本新見氏知行,天和元年から旗本美濃部・伏見氏の相給。ほかに吉祥院領・宝蔵寺領があった。検地は承応4年。村高は「田園簿」で394石余,「元禄郷帳」では405石余,以後変わらず。村の規模は東西17町・南北23町。化政期の家数は不明。高札場は2か所。鎮守は三島社。大同年間の創建といい,寛永年間に朱印地30石を拝領した新義真言宗吉祥院は,はじめ真光寺といい,小野氏が大檀那で,のち安保氏が中興,嘉禄3年5月の銘のある銅鐘を所蔵。慶安2年寺領13石余を徳川氏から拝領した。同宝蔵寺は富士山威徳院ともいい当山派修験を兼帯,同寺には永禄3年10月9日付の徳川家康(当時は松平蔵人佐元康)の制札を所持するが三河方面の寺社宛てのもので当寺との関係は不明。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数98・人口383,馬15。物産は繭・生糸・絹・太織。飛地が藤木戸村・横町村・長浜町村・原新田村・嘉美村にあった。同12年賀美郡に所属。明治22年長幡【ながはた】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286012
最終更新日:2009-03-01




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