ケータイ辞書JLogosロゴ 大谷村(中世)


埼玉県>越生町

 室町期から見える村名。入西【につさい】郡越生【おごせ】郷是永【これなが】名のうち。応永18年12月13日の越生乙松丸田地売券写(法恩寺年譜録)に,初見。同売券に「武蔵国入西郡越生郷是永名之内大谷村松木田壱段,土貢壱貫五百文,同所春日井戸之前田壱段,年貢壱貫五百文所事,合直銭拾弐貫文者」とあり,越生乙松丸は同村内の重代相伝の私領松木田1反,春日井戸の前田1反を12貫文で,越生政秀・政経に売り渡した。同19年5月22日の阿闍梨秀慶譲状写(同前)では,越生郷是永名内の渡在家年貢1貫文と大谷田2反年貢3貫文,計4貫文の所領が報恩寺当住権律師栄曇に譲与された。また宝徳元年3月7日の越生憲秀寄進状写には,「大谷村弐段,釜土場在家内,糟堺土内在家」を法恩寺に寄進したと見え,享徳2年4月5日の長尾忠秀寄進状写でも同地が法恩寺に寄進された。糟堺土は春日井戸に,釜土場はかますが谷に,松木は松ノ木に相当し,近世の小名に引き継がれる(新編武蔵)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286038
最終更新日:2009-03-01




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