ケータイ辞書JLogosロゴ 岡部村(近世)


埼玉県>岡部町

 江戸期〜明治22年の村名。榛沢【はんざわ】郡岡部領のうち。古くは藤田荘に属したという。天正18年旗本安部氏(のち幕閣の一員)の知行,宝永2年岡部藩領,明治元年三河半原藩領。検地は不詳。村高は「田園簿」で535石余,うち田326石余・畑209石余,「元禄郷帳」では変わらず,「天保郷帳」で716石余。天正18年安部信勝が徳川家康から岡部周辺のほか下野【しもつけ】国(栃木県)簗田【やなだ】周辺で合計5,000石を知行し,当村内に陣屋を置いたが,慶安2年1万9,200石で大名に列し,三河国(愛知県)八名【やな】郡半原(新城市)で立藩,宝永2年信峯の代に半原から岡部に居所を移し,岡部藩となる。陣屋周辺には侍屋敷などが置かれ町場化したと想像されるが詳細は不明。幕末の砲術家高島秋帆は当陣屋内に幽囚されていた。明治元年,再び三河半原に家臣団を引率して移ったので,のち陣屋周辺はさびれた。村の規模は東西8町余・南北25町。化政期の家数80軒。高札場は村の西方の普済寺村との間に1か所。鎮守は聖天社。寺院は曹洞宗玉鳳山源勝院・同福寿山観音寺・同両告山正明寺・新義真言宗歓喜山円通院・浄土宗玉鳳山白蓮寺。源勝院は慶長初年に領主安部信勝が父の元真追福のために創建し,寺領50石の寄進を受けた。また2代信盛の墓がある。明治9年埼玉県に所属。同年の戸数187・人口697,馬56。飛地が普済寺村に1か所。物産は米・麦・大豆・ソバ・茶・繭・生絹・生糸・太織。明治12年榛沢郡に所属。同22年岡部村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286105
最終更新日:2009-03-01




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