ケータイ辞書JLogosロゴ 小川村(近世)


埼玉県>小川町

 江戸期〜明治22年の村名。比企【ひき】郡のうち。古くは玉川領に属したという。はじめ幕府領,元禄11年旗本大島氏の知行,天保13年から川越【かわごえ】藩領,明治2年から上野前橋藩領となる。検地は寛文8年。村高は「田園簿」では296石余,うち田195石余・畑100石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」では495石余。村の規模は東西19町余・南北12町余。化政期の家数320軒。岩神沼・弁天沼・瓦ケ沼など溜池を用水に利用。特産物は小川紙・小川素麺。江戸から秩父郡への往来,八王子宿(東京都八王子市)から上野【こうずけ】(群馬県)への宿駅に当たり,民家が軒を連ねてにぎわい,当地方の物資の集散地として毎月1・6の日に六斎市が立った。この市は寛文2年に隣村の大塚村より移転したもので,天明3年には大塚村も市を立てたため両村の間で市場出入が起きた。その後もたびたび両村の間で境出入が起きた(小川町史)。高札場は秩父往還の中ほど。鎮守は八宮【やきゆう】明神社,ほかに神社は諏訪社・熊野社・天王社など。寺院は曹洞宗西光寺,新義真言宗高西寺・観正寺,当山派修験清宝院・本山派修験休蔵院,休蔵院は八宮明神社の別当寺であった。小名は深田・大豆・五段・宇佐美屋舗など。小川紙は,文化10年に江戸十組問屋が結成され,地方荷主(仲買人)や紙漉業者が大打撃を受けたが,明治以降株仲間の廃止で,自由販売が可能となり,また蚕卵原紙の改良などにより発展し,全国に移出した(小川町史)。明治5年小川郵便取扱所(現小川郵便局)開局。明治初年に小学校開設,生徒数167。同9年埼玉県に所属。同年の戸数356・人口1,527,馬35,人力車10・荷車25・農車10・水車3,物産は米・大麦・コウゾ・清酒・豆腐・細川紙など。明治20年頃には政府紙幣用紙を漉いた。明治12年比企郡に所属。同22年小川町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286114
最終更新日:2009-03-01




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