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荻原村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻原村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻原村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡野津院のうち大野川の中流,支流の野津川との合流点付近に位置する慶長2年太田一吉領,同5年以降江戸期を通じて稲葉臼杵藩領山奥組に所属村高は慶長2年21石余,村位は下(豊後国大野郡野津院御検地帳)「正保郷帳」では黒坂村を合わせ村高は148石余,うち田51石余・畑96石余と記す「見稲簿」15石余,「天保郷帳」15石余,「旧高旧領」21石余鎮守は熊野社大野川と野津川の合流点の吐合【はきあい】の川港には藩の蔵所・吐合番所が設置され,臼杵藩領5万石のうち野津郷8,000石,三重郷1万石の年貢米と大野川東部地域の米・大豆・石灰・竹材・木材など諸物産の集結・積出港として栄えたまた,藩営質屋である「歩質方」も設置された(犬飼町誌)明治4年大分県に所属同8年黒坂村・長谷【ながたに】村と合併して柚野木【ゆのき】村となる現在の大野郡犬飼町大字柚野木のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
荻原村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」