ケータイ辞書JLogosロゴ おしまの原(中世)


埼玉県>本庄市

室町期に見える地名児玉【こだま】郡のうち文明18年6月から翌年にかけて聖護院門跡道興は北陸・関東・奥州を巡歴し,「廻国雑記」に同18年8月半ばに北陸から上野【こうずけ】を経て武蔵に入るが,「この坊(上野・杉本)を立て宮の市,せしもの原,しほ川,しろいし,いたくら野,あひ川,かみ長川などさまざまの名所を行って,おしまの原といへる所にやすみてよめる けふ爰におしまか原をきてとへはわか松しまは程ぞ遙けき」と上野国(群馬県)多野郡から武・上国境を流れるかみ長川(神流【かんな】川)を渡り,おしま(小島)の原に到着,そしてその晩はこの地で仮寝している(群書類従)おしまの原と比定される小島は古代は賀美【かみ】郡,中世は若泉荘,近世には児玉郡本庄領に属した現在の本庄市小島付近
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286165
最終更新日:2009-03-01




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