ケータイ辞書JLogosロゴ 御前田(中世)


埼玉県>花園町

 戦国期に見える地名。榛沢【はんざわ】郡のうち。鉢形【はちがた】城主北条氏邦は永禄10年11月1日の印判状で,大森越前守・長谷部兵庫助に宛て「御前田」を今後6年間荒野に指定するから,地下人を集めて田畠を切り開けと命令している。元亀2年5月16日の氏邦印判状では,長谷部兵庫助以下11名の「小前田衆」に同地を永代扶持として与え,諸役不入とする。普請役は赦免するから徒士の者は早く馬を求めて馬上衆になれと命令している(長谷部文書)。このほか小前田に居館し氏邦の被官であった小前田越中守(越前守)が,天正10年森下三河守の守る沼田倉内城攻めに活躍する様子が「関八州古戦録」に見える。同越前守は天正18年鉢形落城に際し,奥方を守り退去の途中戦死した(新編武蔵)。氏邦の幼君光福丸を守護した町田土佐守秀房も前田利家に降伏し,幼君の助命を許されたのち当地に来たり隠住した(新編武蔵)。修験関係では,天正7年8月27日源要の知行村名書立に「御前田」とあり,那賀郡白石(現児玉郡美里【みさと】町)の宝積坊支配下であった(武文)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7286210
最終更新日:2009-03-01




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